自動翻訳機ができたら外国語の勉強は不要になるか

結論から言えば、僕はそう思いません。

 

おそらく早ければ数年後には精度の高い翻訳機ができるでしょう。

これによって、今まで外国語(特に英語)の学習に苦労してきた多くの人々が多大な恩恵を受けるのは間違いありません。

 

しかし、ここで考えて欲しいのは、外国語をただ単に意思疎通の手段として見なしていいのかという点です。

どういうことかというと、例えば誰かと文字だけでやり取りしてて、相手の意図がうまく汲み取れず喧嘩になったなんて経験はありませんか?文字だけだと実は会話の情報量としては少なすぎるのです。

一般には、文字<音声<対面 の順に受け取る(与える)情報量は多くなります。ここで言う情報には非言語的なものが含まれます。それは、表情や身振り手振り、話すときのリズムや細かな癖などです。

これら複数の情報から我々は、相手が信頼に足る人間であるかどうか、好きか嫌いかを判断しています。

人間の脳が、狩りをしていた時代から実はそれほど進化していない事実から考えても、これらノンバーバルな情報が今後もコミュニケーションの重要な要素であり続けることは間違いありません。だから、手段としての外国語とそれ以外の部分とは分けて考える必要があります。

要するに、外国語の勉強が不要になる時代は来ないということです(仮に世界が単一言語を使う時代が来ても、やはり文化や歴史としては残り続けますので、学習の必要性は残るでしょう)。

だから大事なことは、テクノロジーに自分の生活の全てを支配させるのではなく、テクノロジーが進化しても変わらないものをいかに大事にし続けられるかということ。そこに人間の本当の価値が残る気がします。

来たるべきシンギュラリティに向けて(その後も)、我々は今まで自分たちが便利な道具と引き換えに手放してきたモノの価値を、再定義し続ける必要がありそうです。

結局、それが人類の幸福を守るということなんだと思います。

 

話が冗長なので、一言でまとめると、

この写真のように、恋人同士が愛を伝え合うのに、外国語学習の動機が翻訳機の登場によって全て奪われる時代は来ないだろうって、そういう話です。

回りくどいか(笑)

 

 


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